西東京朝鮮第二幼初中級学校のご紹介
東京都町田市に位置する西東京朝鮮第二幼初中級学校についてご紹介します
朝鮮学校ってどんなところ?
1. なぜ日本に朝鮮人が住んでいるのか
元々朝鮮と日本との関係は「近くてもっとも親しい国」でした。江戸時代の鎖国の世でも唯一対等に、国交も貿易もした友好の国は、朝鮮でした。
しかし明治時代に入り、「征韓論」などの立場から日本は朝鮮侵略の道を歩みだし、ついに1910年8月22日に朝鮮を植民地にしてしまいました。(1905.11.17乙巳5条約、1907.7.24丁未7条約)
日本の朝鮮植民地政策は、朝鮮の人々に多大な苦しみと不幸を与えました。当時の日本政府は、朝鮮人にも「皇民化政策」を強要し、強制徴収により多くの朝鮮人を連行しました。また本国で生活ができなくなった朝鮮人も、生活の場を求めて日本に渡ってきました。
現在日本に住む在日朝鮮人は、こうして日本に来た人たちとその子孫達なのです。
2. 民族教育はどのようにして始まったのか
終戦当時、日本には約200万人(諸説あり)の朝鮮半島出身者が住んでいました。1945年8月15日、朝鮮が解放され、故郷‐朝鮮半島に帰ろうとしましたが、帰国船の不足や持ち出し金と荷物の過度の制限に加え、本国の情勢も不安定であったため(当時の朝鮮はアメリカ軍が軍政)、帰国がままならなかったのです。
故郷の政情が安定するまで一時日本にとどまることにした朝鮮人達が、植民地時代の日本教育令により奪われた母国の言葉や歴史・文化を子どもたちに教える為、日本各地に寺小屋のような「朝鮮語講習所」を創りました。これが朝鮮学校の始まりです。
解放後すぐに始まった国語講習所は、翌年の1946年4月から初・中・上の3年制初等学院へと改編され、初等教育を実施、そして同年9月に再統合し6年制の学校へと発展させ、国語(朝鮮語)、歴史、地理、算数、体育、音楽など民族科目を中心とした教育が行われました。
また、1946年10月に東京朝鮮中学校(現在の東京朝鮮中高級学校)が創立されたのを機に各地で中等教育が始まり1956年には、その後東京都小平市に移転した朝鮮大学校が東京朝鮮中高級学校内に設立され、朝鮮学校は初級部(小学)から大学に至る教育システムを備えるまでに発展を遂げました。
在日一世が戦後真っ先に子どもたちに自国の言葉と文化を教えたのは、ルーツにつながる言葉を取り戻すことこそ、人間性の回復だと信じたからでした。祖国解放後わずか1年で日本各地に525校の初等学院、4校の中級学校、10校の青年学校が設置され、1100余人の教員が42,000余人の児童・生徒を教えるまでになったことでも教育への熱い情熱と思いが見て取れます。
現在日本には北海道から九州まで、全国各地に幼稚園から大学にいたるまで63校の朝鮮学校があり、教程別では143校(初51、中32、高10、大1、付属幼40)があります。
3. 民族教育の目的
在日同胞子弟を定住外国人としてのアイデンティティーが確立し、知・徳・体を兼ね備えた朝鮮人として、在日同胞社会と民族の繁栄に貢献することのできる人材、国際感覚を身につけ、地域社会や日本、国際社会に貢献し活躍できる高い資質をもつ真の朝鮮人、有能な人材を育てることにあります。
4. 教育内容
朝鮮学校では「自分を知る者は他人も理解し尊重することができ、自分を愛する者は他人も愛することができる」をモットーに朝鮮半島をルーツとする在日子女たちが愛すべき自己を探せるようにカリキュラムを組んでいます。
学校では母国語である朝鮮語をはじめ朝鮮の歴史と地理、民族の文化と伝統に関する教育に重点を置いています。また日本と世界の歴史や、地理・社会などについての教育や数学、理科などの自然科学教育に加えコンピューター関係の「情報処理」も必修科目として教えます。スポーツや文化面では日本学校をはじめ在日外国人学校、海外との交流を試合、公演、コンクールなどを通して積極的に行い親善の輪を広げています。
科目:朝鮮語、朝鮮史、朝鮮地理、社会(日本と世界の歴史、地理、生活)、算数数学、理科、情報処理、外国語(日本語、英語)、保健体育、音楽、図工、美術、家庭科
教科書:日本に定住するという特殊な現状を考慮し、独自に編纂(学友書房・東京都板橋区)
言語:日本語の授業以外はすべて朝鮮語で授業、生活
5. 公的助成
学校教育は子どもたちの未来のためにあり、「学ぶ権利」は世界のどの国で住もうと認められなければなりません。永住権を有する在日コリアンは日本社会の構成員であり、納税義務も果たしています。また、朝鮮学校は学校教育法や私立学校法を順守し、健全に運営されている各種学校です。
しかし、朝鮮学校に対する国庫補助は皆無であり、2010年4月1日に施行された「高校無償化」からも排除されました。
東京都から学校に対し、『私立外国人学校教育運営費補助金』が児童生徒一人当たり、年額約15,000円支給されていましたが、2010学年度から支給が停止されているので現在、学校に対する公的補助金は0円です。
また「改正子ども・子育て支援法」が5月10日国会で成立し、幼児教育・保育無償化制度が施行されるも、朝鮮学校附属幼稚班を含む各種学校が制度から除外されました。
一部の市区町から保護者に対し補助金が支給されていますが、多摩26市の金額は23区や他地域に比べ大変低く、月謝や寄付金で運営せざる負えず、保護者や地域同胞の負担が大変厳しい状況で、「奇跡の運営」を続けています。
西東京朝鮮第二幼初中級学校
沿革史
1945.8.15
祖国解放(終戦)
1946.1.15
町田市寺町に国語講習所を設立
1947.10
町田市寺町に校舎落成
1949.10
『学校閉鎖令』により閉鎖。『都立第12朝鮮人小学校』になる。
1955.3.31
日本政府が『都立学校』廃止を宣言。
東京朝鮮第12初級学校として再出発する。
1961.4
学校名「三多摩朝鮮第2初級学校」改称
1968~
東京都が学校法人東京朝鮮学園(各種学校)認可
1968.4
中級部併設
1968.7.14
町田市高ヶ坂(現在の場所)に移転
1972.4
幼稚園併設
1989.4
学校名「西東京朝鮮第2初中級学校」改称
1998.4
幼稚園休園
2006.3
中級部休校
2007.4.1
幼稚園再開
2012.4
新校舎(現校舎)竣工
2016.4
中級部再開
2021.1.15
学校創立75周年